やっと痩せる気になった。この、その気になるっていうのは重要なことで、いくら他人から言われても、自分で宣言をしても、ダメな時はダメってもんでこのメカニズムってのはなんなのか気になる。結局、他人をどうこうしようなんて無理な話で、なにか心が動くってのは偶然でしかなくて、狭い街角で行き違ったときにたまたま身体が触れるようなものなんじゃないかと思っている節がおれにはある。だいたい他人を説得できたことないしな。悲観的というか敗北主義的(この言葉の意味よくわからないがおれは好きじゃない)というか、友達が去っていくのだって心が離れていくのだってどうこうできるもんじゃないという、そういう冷たさみたいなもんだろうか。そんな風にずっと思ってきたけど最近は、本当はこれってよくないのかもしれないな…と思うことがある。自然なものを無理矢理どうこうするのは…みたいなよくわからないモラルに縛られてる気もする。柳ジョージの「STAY」という曲に"あの頃に戻るんだ"という一節がある。通常おれたち(いや、"おれ"か)は、あの頃にはもう戻れないもんだという諦めというか潔さというかそういうものと一緒に生きてる気がするけど、この"あの頃に戻るんだ"というフレーズは変に頭に残ってて時々思い返す。痩せる気になった話を書こうとしたのに、ずいぶんとズレたな。
ところでARBの「AFTER '45」の"狭い街角で出会った"っていう歌詞は、たまたまの出会いでたまたま心が通じた、みたいなそんな…うーん言葉にできない。下に歌詞抜粋するのでなにか感じられたら感じてください。
アフター1945 俺達は生まれ 狭い街角で出合った
揺れる1985 過去は過去のモノ 手をのばしてみる 夜明けに
何だろうね…もう丑三つ時なんで頭も動きませんね。
ブログで歌詞引用はダメなんだっけか? まああとで考えるわ…
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