2013/11/05
#028 街場の記憶
吉祥寺という街が東京西部にあってこれはおれが青春時代を過ごした思い出深い街として有名なのだが住みたい街ナンバーワンとしてメディアに取り上げられるせいか"鼻持ちならないシャレオツ勘違いサブカル"(こういう揶揄多すぎだぜ)が集まる虚無タウンとして中傷されることが多くなった。それはおいといて、読者諸君は吉祥寺サンロードにあったニューヨークという古着屋を覚えておいでだろうか?覚えてても覚えてなくても知ってても知らなくても話は別に続かないのだが、そんな風に馴染んできた街なのに、最近、というかここ5年ほど、どうにも居場所がないような所在ないような、そんな気分になることが増えてきて、あぁ終わったんだな…(なんだかわからないけど)と思うようになった。おれから言わせれば、吉祥寺はシャレオツタウンというよりは、学生街プラスアルファのような親しみ深い街なのだ。いせや(飲んだことなし)しかり、ハモニカ横丁(飲んだことなし)しかり、クリーンさからは程遠いような猥雑さこそが本質なのだ。18になるまでほとんど行ったことなかったけど。ここまで言ってアレだけど、本質とかはわりとどうでもよくて、結局あの頃つるんでた仲間とともにあった記憶を懐かしんでいるんだなと思うし、それはたまにポケットから取り出して舐めているアメのようなものだったなと思う。こんな風に昔のことを喋る(ブログだから"書く"か)時だけ変に饒舌になるのもなんだか寂しい。つまるところ、街の記憶というのは人とともにあって、それはどこまでいっても社会的な性質を持っているのかなと思う。そりゃそうだ、街は荒野じゃない。
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