2016/12/31

もし君がウールの手袋について聞きたいなら、

ウールのチクチクは使用にともなってこなれてきたのかさほど気にならなくもなった、しかしメッセンジャーバッグなどのベルクロを多く使った物を扱う際に手袋がベルクロに張り付いてしまうことが多くバッグの開閉時の心理的負担という面で少なからず心に暗い影を落としているということは伝えなくてはならないだろう

ほうれん草のことなら

一応収穫して食べたものの間引きをしなかったせいか肥料がなかったせいかわからないが茎が細く味もさほどうまくもなくまずくもなかったということを報告させていただく

都市

新宿でも渋谷でも要は東京全部そこにいてこの街に明るい面を見出すことが難しく常に嫌悪感に付きまとわれている その嫌悪の中から浮かび上がったなにかしらを掴まえるということについて思ってみるものの茫洋としていてすぐに頭が回転を止めてしまうといった状態にある なにが?という感覚が外にいる時間の大抵を占めており、この地点を通過して次に行く必要があると思っている

2016/12/20

今年買ってよかったものなんて書くようになったらおしまいだッッッッ!

失敗したものを書けよッッッッ!!!!!!

Columbiaのフィンガーレスでミトンのようなカバーのついた手袋を愛用していたが、Gジャンのポッケに無造作に突っ込んでいたせいか、いつのまになくなっていた{開口部分が真上でなく横のポッケには物入れるべきではない、落ちるからだ}。
今年は暖かい日が多く、もしかして手袋なしでも乗り切れるのは…と思ったが、自転車に乗っているときはさすがに厳しい瞬間もあるので、ありとあらゆる物屋さん{物を売っているお店}を訪れてみたが、どこにいっても同じ物が置いてある!!!!!チョイスする物でセンスの違いを見せつけようなんて時代は終わってるのかもしれないな…そのどこにでも置いてある中から選ぶしかないので、さんざん迷った挙句にモンベルのシャミースグローブというフリースっぽい素材のやつ、BLACK SHEEPのウールのやつのふたつに絞ったのだが、モンベルは安くてさわり心地はとてもいいがペラペラで耐久性が不安というわけでBLACK SHEEPにした。ウールの手袋はほとんど使ったことがないが、帰って装着してすぐにチクチクすることに気づいてしまった!!!!!手首部分までカバーしているのだが、その手首と手の甲部分がチクチクして気になって仕方ない。これ、物を選ぶの失敗したってやつか???と久しぶりに動揺しながらそのうち慣れるのでは…と思い、お外に出て歩いてみると、歩いている最中はそれほど気にならなかった。しかしすべてがウールなので手のひら部分になんのすべり止めもなく、カメラを保持するのにはよいとは言えない。Columbiaのグローブは滑り止めがあって自転車のハンドルを握るのにもよかったが…フリース素材も心地よかった…しかし最初は親指付け根部分の縫い目がハンドルを握るときにあたって不快だったが…とにかくあれはもうかえってこない、同じ製品も出してないみたいだし、このBLACK SHEEPを使うしかないんだなと思うとなんだか元気がなくなってくる。ま、モンベルのを買ってたら薄くていかんとか、手首が露出するとか、ペラいから失くしやすいとか書いていたかもしれない。
それにしても今年はフィンガーレスの手袋が少ない。スマートフォン操作できます!みたいなのばかりだが、手袋つけたぶっとい指先であんなもん触る気になるか!!といった思いしかない。最近は本当に欲しくなるような物がないし、パッケージやタグや売り場の感じだけでうんざりしてしまう。どこ行っても同じものが置いてあるんだよ。



2016/11/30

靴擦れ

今日買ったスニーカーとどうにも相性が悪いらしく、30分歩いただけで靴擦れになってしまった。しかしこれまでに履いてきた靴も、思い返してみればはじめはこんなものだったように思う。履き心地や歩きやすさ、価格といった利便性や機能を重視してきたこの数年ばかりが例外だったのだろう。ここで人間折り合いをつけてしかるべき、などというようなことは言いたくない。だが、たとえ機能面において完璧な物だったとしても、それが美学やフェティシズムの類を満足させるものではないということに、今更になって気がついたのである。いまなら返品がきく…などという考えが頭をよぎりつつも、もう少し付き合ってみようというような状態で、新聞紙の上にスニーカーを安置している。

2016/11/26

猫のいる家

片側三車線の大きな幹線道路から少し入ったところに、寂れた商店の並ぶ通りがある。そのうちのひとつに古い理髪店があり、これといった特徴のない店だったが、その窓辺にはいつも猫が座っているのだった。そこを通るのは決まって夜更けだったが、ショーウィンドウの向こう側に置かれたスツールの上に座って、夜更けの通りを見つめるその様子は、どこか生気をもった置物のような、不思議な佇まいであった。フォトジェニックと言っていい眺めであったが、いちども写真に撮らぬうちに、いつのまにかその店は取り壊されていた。店舗とはいえ他所の家の内部にカメラを向けるということに無意識に抵抗があったのか、猫を撮るという行為の内にどこか安易さを感じていたのかわからないが、とにかく自分が記録を残す前にその風景は消えたのだと思うと、道路や建物といった、不動に近く堅牢であると思われる物体も、それがその時時にふさわしい生気をもって存在しうる期間というのは、存外に長くはないのかもしれないと思った。


2016/11/03

あるときは

ひとりで変にはしゃいでいたり、あるときはイライラしっぱなしで常に怒りをぶつける対象がないか捜していたり、それが一日のうちに目まぐるしく変わっているのでおかしくなっているのかと思う

2016/10/17

ほうれん草日記



種を蒔いてから3週間くらい?今のところ順調なようで、なんとなく完全体としてのほうれん草を予感させる成長具合である それぞれの株の間隔が近いので間引きをしようかと思ったが、検索してみると間引かなくてもちゃんと収穫できるという文献に行き当たったので、しない方向でいくことにする 現在プランターひとつでの栽培だが、食料であるということを考えると、もっと増やしたい プランターを置くスペースはあるのだが、日照に問題があり、なにか台の上に置くという形でないと成長が望めなさそうである
家庭菜園は常にコストパフォーマンスという言葉に呪われる存在であるという 何ヶ月も待って数食分の野菜しか作れない、買ったほうが早い、そういった言葉との闘いであると わが菜園は、食べる育てるといった楽しみとは別の、文明崩壊シミュレーションの側面があり、正直に言えば児戯めいたところが多分にある 食べる育てる文明崩壊、三方満足させるためにそれらの要素のバランスを考えていく必要があるように思う

2016/10/11

先日アジフライを作ったついでにフライドオニオンを作成して保存してあったので、それと干しエビ唐辛子油各種調味料などを混合して独自の醤(ジャン)を作ろうかと思ったが、面倒になって生玉ねぎにそのフライドオニオンをかけて食べてしまった 元気だしなよと声かけをしながら豚モモ肉にチリパウダーとレモン塩をふりかける
最近は起床すると白湯を飲むようにしている お湯ということで水と似ているのだが、白湯を飲むと胃腸の調子がよくなる 一日に少なくとも3杯はコーヒーを飲むが白湯と交互に飲むようにしている 水分は2リットルとらなければならないとのことだが、コーヒーはおそらく勘定に入れる水分ではないのだろう トイレに立つとき、台所に立つときなど節目節目に水を飲む習慣をつけているつもりだったが、涼しくなってからはそれも忘れがちになるのだった
野菜が足りない、と思う 育てているほうれん草は順調だが、もっと大量に栽培しなくては終末に備えることができない 種はまだたくさんあるが育てるスペースがないのだ

2016/10/06

2016/10/06

ほうれん草(家庭菜園)
だいぶ芽が出てきてはいるが、元気のある伸び方とはいい難い
もう少し伸びたら隣接しすぎてる芽は間引こうと思う

パン
パンはいいよな
なにか挟むだけで格好つく
箸やフォークがいらないし、手も汚れにくい
まあ米がすきなんですけど

普段作らないスタイルの飯を作ると大して料理できないなという現実を視認できる

ここ数日健康的な生活を営んでる
これまでは不摂生の極みだった
よく噛むといいということに気がついた
内臓の負担が減る
そして水分を忘れずにとるということ
それだけでなく野菜もとるということ
昨今の風潮(特にインターネット)では、タンパク質さえとっていればいいという感じだが具合悪くならんのかな

2016/10/04

 

口先だけで行動に移さないとか、いつまで経っても何も始められないとか、一生そのままで終わるとか、他人の言葉であろうと内心の声であろうと、そんなものに屈して、自分が心のなかで思うこと、大事にしているものを愛し続けることを、やめてはいけないと思う 何も始められなくても完成しなくて達成できなくても、思うことはやめてはだめだと思う

2016/10/02

なし

書くことなし
とりあえずほうれん草の芽が出たということとよく噛んで食べるということにしか気づけてないしすぐ疲れる
書物などのちゃんとした文章を読む機会を失うとこのように自らの言葉すら失うことになる!ここまで書いたところでもう書く気がなくなった!
{追記}
FUJIFILMスクエアの牛腸茂雄の写真見たけどよかったけど写真が小さい気がしたけどそういうもの?いま右肩が凝ってる ストレッチと運動と筋トレ毎日やらなきゃダメ!食事にも気をつけなきゃダメ!
{追記}
オールスパイスは日本では栽培しても実がつかないらしくショックを受けている!
ディルはかんたんに作れそうなのでピクルスが作れる可能性がある!
マスタードシードはからし菜の種ということがわかった!

家庭菜園続報

二日目


 三日目


四日目

2016/09/29

2016/09/27,28

先日ついにほうれん草の種をまいた
8時間ほど種を水につけてから2センチほど土を掘って種をまく
多すぎたような気がするが育ってから間引けばいいだろう
すでに日が落ちていたので写真には撮らなかった
そもそも撮っても土だけだから
それはそうと暑い
いつまで夏のつもりでいるんだ目を覚ませという思いしかない
金木犀というのがどんな植物でどんな匂いかというのを今日はじめて把握した
なるほど、といった感があるがこの暑さだとあまり感慨もない
秋らしくもない
だめになる前に、と思ってキュウリをまるごと一本なにもつけずに食べる
俺は河童か
なぜか暗い想念に襲われた

2016/09/27

このまま

次第に雨が多くなり湿度の高い蒸し暑い日が続き、やがて35℃超の気温と太陽、ひまわり、渇水、盆には迎え火を焚き、帰省ラッシュと夏休みに入った子供の声が聞こえ、あの頃に間違えたことやできなかったこと、言おうとして言えなかったこと、行けなかった場所、これを読んでいる君にそれらをやり直す機会がくる

2016/09/26

2016/09/25

昔買ったキーボード(楽器のほう)を引っ張り出して少し触ってみた
なにをすればいいのかわからないのでコードの一覧表を検索して一通り弾いたりするもだんだんと楽しみというよりお勉強といった性質が強くなってきて苦痛が増してきた
モヤモヤや怒りなどの邪念を散らすために触っているのだがなにしろキーボード本体がそれなりに大きく作業台の上のスペースを占有するため存在自体がストレスになりかねない
ここまで書いたところで使わないときは壁に立てかけておく解決法を思いついたのでそうすることにする
コード以外にキングクリムゾンのアイランズのイントロの最初の最初の1音だけ耳コピできたのでよしとする

一年ぶりに太陽が顔を覗かせたのでようやく洗濯ができた
しかし家庭菜園にはまったく手を付けていない
種は植えるまえにしばらく水につけておくとよいと聞いたのだがそうするべきだろうか
それにしても気の利いたことが書けない
事実を記すにしてももっと有用なことが書いてあるブログにしたいという気持ちはあるのだが
整理整頓
最近聴力の衰えを感じる
視力の衰えは1年ほど前から感じている
見通しの悪い角を曲がるときに漠然とした恐怖を感じるのは察知する感覚が退化しているからではないかと思う

2016/09/24

HSC (Harima-zaka Sakura-namiki Cru)

文京区の播磨坂さくら並木には思い出があってそれは播磨坂近くを夜更けに散歩していたとき道端にいた猫を撫でようとしてしゃがみこんで必死に誘い出している後ろ姿を通りすがった女性に見られてクスリとされたという短いものだ
ニット帽
革のジャケット
カーゴパンツ
adidasのスニーカー
なぜか当時身につけていたものを覚えていて切り離せない記憶になっている
いかにもゼロ年代といった夜だった

百裂

ストレス発散法を100個リストアップするというセラピーがあるらしい
100個をすべて実践するというのではなくリストアップすることによって脳の整理がされるということらしい
100個の方法というのは厳密に分類してカウントする必要はなく、例えば宝くじに当たった妄想するというのと突然大金が転がり込んできた妄想をする、といった似たようなものでもなんでもかんでもひとつふたつとカウントしてリストに挙げていけというものらしい
つまり文明が崩壊した世界で生きる妄想とゾンビがはびこる世界で生きる妄想を別々にカウントしてもいいのだ
こっちのほうがわかりやすかったな
気合や意志の力や超能力で乗り切るなどといった時代は終わり自分の心の状態を客観的に把握することで良くなっていくのが新しい文明なのだろう
自分の状態を人に話すのも手助けになるかもしれない
人と話すのは良い

2016/09/23

2016/09/22

あまりに不摂生な生活を送っていたせいで本格的に体調が悪くなってきた
とにかく食生活の改善だと思い、とりあえず内臓を休めるために何も食べない時間をある程度意識して生きることにした
まだ一日しか経っていないが、以前よりも確かに体調がよい
などと報告していくと飽きてくるので、適当にやる予定
炭水化物を控えると調子がよいということはわかっている
問題はこの調子のよさに慣れてしまうということなんだな
習慣というのは66日続けると定着すると聞く
66日の行程を最後まで歩き通す自信は私には、
などといったことは考えずに適当にやる予定

2016/09/21

図書館に本を返却し、その足でホームセンターに向かう
家庭菜園はほうれん草とルッコラのどちらかにするつもりだったが、
どちらも苗は置いてない 種だけだ
閉店間際のホームセンターで立ち尽くし、結局ほうれん草にした
しかしこんどはほうれん草の種類で悩まなくてはならないのだ
パッケージを見ると病気に強いと表記されている
なるほどと思うも、どの銘柄にもそれが表記されているのだ
事実上の選択不能状態である
蛍の光が流れ出し、安いやつでよしと148円の銘柄を持ってレジに向かう
しかしレジに表示されたのは198円だった つまり間違えた
一日経つが種をまくどころかバッグから出してもいない

2016/09/18

白湯

普段はインスタントコーヒーばかり飲んでいるが白湯を飲むと胃腸の調子が整い体調がよくなる それとストレッチ もしかしたら筋トレより重要なのではないか 体がガチガチにこわばっているので そもそも運動の前にやることだし今後は重視したい と言うも運動自体ほとんどしてない 不摂生の極みである

2016/09/17

菜園
砕いた卵の殻をプランターの土に投入し混ぜる
種および苗はまだ用意してない

自転車
後輪の空気が数日かけてゆっくり抜けるという症状に見舞われている
チューブを新品に交換する
Tiogaの600円のチューブ
タイヤはThickslick25C もう2年近く使っている気がする
次は太いタイヤにしたい 32cといきたいが入るかどうかわからない
ついでにハンドルをドロップハンドルにしてみる
DEDAのBIG PIEGA
正直それほど使い心地はよくないが気分を変えたかった
チェーンのテンションをきつめにしたせいか、すこしペダルが重く感じる




じゃがいも
ローズマリー

オリーブオイル
にんにく
玉ねぎ

オーブン200℃で40分くらい

じゃがいもがたくさんあるとき
ホームパーティーを開くとき
そんなとき

2016/09/14

ストレッチ

肩首まわり背中が凝ってしょうがなかったがストレッチによってかなり改善したのでやったほうがいい、とタイプしていたらまた右肩が痛くなってきた
ところで最近日記めいた文章しか書けていない
ブログたるもの日記こそ真骨頂かも知れないがもう少し脳の理性的な部分を通過した文章を書きたいという気持は持っている(書きたい、ではなく書きたいという気持は持っている、という一段回りくどい文章にすることによってその欲求を部分的に満たしている)
外は涼しい、しかしこの湿度では秋とは到底

2016/09/13

などと

家庭菜園について語っているが本当のところそこまでの情熱を持っているわけではない
雑巾がけをしたら四つん這いで無理な姿勢をしていたせいか頭痛と肩の緊張に襲われてしまいそのまま床に転がっていた ろくに運動してないので全身の筋力が以前に比べて低下しておりそのせいで不活発な状態になっているのだと思う 湿度のせいもあるかもしれない 今年は雨の日が多すぎる アリゾナのような乾燥した土地を思い浮かべている 亜熱帯の国はつらい

2016/09/12

菜園
土に混ぜるために卵の殻を砕いて粉々にする
分解には時間がかかるらしくかなり細かく砕かないといけない
そもそもなぜ土に良いかというと酸性の土壌を中和できるからなのだがそもそも土のphなど測っていないので必要ない可能性もある
晴れたら発泡スチロールの容器に入っている土に混ぜ込もう
しかし肝心の植えるものがまだない
ルッコラかほうれん草で迷う
クレソンもいいがあれは水栽培のほうがよい気がする
小学生のころじゃがいもの水栽培というものがあったがあれは臭かった
豆苗を水栽培で再生させた時も異臭が発生して腐ってしまった
水耕栽培はマメさが必要と思われる
楽して育てる方法があるのではと思うが特に突き詰めて考えていない
ルッコラほうれん草クレソン
食べ物としてはどれも好きだ
クレソンなど幼きころは大変苦く思われたものだが

2016/09/11

消費エントリ百連発

XLのTシャツを買った。毎回暗色を選んでしまうが、白にはもう透けるイメージしかない。2000円で買ったチャンピオンのTシャツがスケスケだったあの日、俺は白に対する信頼を失ったのだった。ヘビーウェイト無地Tの色というと、結局黒かネイビーしか選べない。

整髪料は600円のセット力強そうなワックス、もうポマードまかせにはしておけない現状が頭髪にある。それにしても安めの整髪料というやつは、パッケージ諸々のデザインが若すぎて少々きついものがある。

歯ブラシは、エビスのプレミアムケアという幅広なものにした。スポット歯ブラシと併用してるのでなんでもよいのだが、大ぶりな外見が景気よく見えてこれにした。

財布、サドルバッグはいまだ買わず、というか、これは作ってみたいと思うのだが手縫いでできるだろうか。ミシンを直すのは面倒で手を付けてない。

2016/09/10

要る物

整髪料
ポマードはセット力が弱い安ジェルと併用してもまったく固定できん安ジェル自体ただのベタベタした半練り状態の何かなのではないかと思うとにかくきっちりセットできるやつ光沢はワセリンにまかせる

でかいTシャツ
もはやジャストフィットのTシャツなんか着てられんわこの国は亜熱帯なんだぞ太いパンツ穿いてるとちょっとゆとりあるくらいのサイズでもバランス悪い

歯ブラシ
どれくらいの期間同じ歯ブラシ使ってるか考えたくない別の馬毛の歯ブラシも併用してる時期があったが抜け毛が激しく使用するのにかなりのストレスを感じたそれおいといてスポット歯ブラシはとてもいい奥歯や前歯の裏側が楽に磨ける

サドルバッグ
工具は重いペダルレンチは重いアーレンキーも各種あると重い背中のバッグに入れるより自転車本体に装備してるほうが軽く感じるだろそもそも自作するつもりだったがミシンが壊れたために中断中

財布
今のは既に限界を超えており事実上のゾンビと言ってよい油断すると硬貨が破れ目からこぼれ出すそのためポケットではなく常にバッグにしまっているこれも自作するつもりだったが中断中

2016/09/09

菜園を思う

クレソンルッコラほうれん草

秋からはじめても大丈夫そうな野菜として3つあがった。クレソンは水耕栽培できる。ルッコラは生えてくるのが早い。ほうれん草も生えてくるのが早い。そしてうまい。しかし、いずれも暑さには強くないようで、いつ植えればいいのか迷う。ここ数年、夏から突然冬になっているような気がする。調べていると、土のphも大事らしく、石灰をまくのは土壌の性質をアルカリ性にするためらしい。石灰はなにかで代用できないかと検索していたら、卵の殻を使う方法があるとのこと。砕いた殻を土に混ぜ込むことで中和できるらしい。そういえば、植木鉢に卵の殻が置いてあるのを昔よく見た気がする。そして葉っぱというやつは太陽と水だけでなく、栄養もあるといいらしい。肥料も野菜の余った切れ端を発酵させることで、自作できるんだそうだ。先月、豆苗を水につけて再生させていたが、水の交換を怠ったせいで腐ってしまい、一度しか収穫できなかった。ツラツラと並べたててはいるが、本当にやるかどうかわからない。

2016/09/08

写真

HDDに貯まっている写真の現像に手を出す。現像と言っても暗室でネガをどうこうというわけではなく、RAWという生のデータをパソコン上で仕上げる行為である。ホワイトバランスや露出などの数値をいじって、納得できる状態になったらjpgにエクスポートする。こいつはまさにコンピュータ内のデータだが、世の中にはデジタルネガプリントという手法があるらしく、デジタルのデータをネガフィルムにし、プリントするものらしい。正式には、デジタルゼラチンシルバーモノクロームプリント(DGSM Print)だとか。モノクロしかできないのか。今気づいた。実体のあるものは良い。今、"強い"と書きそうになってやめた。強いことは良いことである、そういう物言いはもうしたくない。DGSMだが、ザッと読んでみると、当然だがそれなりに手間がかかるようだ。これだという写真が撮れたらやってみるのもいいかもなと思う。今までフィルムで写真を撮ることもあったが、やはり意気込みを必要とするのと、単純にコストの問題で、ごくたまにしか撮らなかった。なんだかんだ言って、フィルムが偉いという感覚はある。そして、たくさん撮ること、撮りにくいものを撮ること、そういうことに価値をおくことを認めてはいる。反省めいたことを綴っているが、心を入れ替えて真摯な姿勢で芸術に向かおうといった気概には乏しく、写真を撮っている、やっている人間だという自負もない。ただ、いま自分が使っているカメラと一緒に過ごす時間はもっと増やしたいとは思う。

2016/09/07

貰い物の350ml缶ビールを飲みながらこれを書いている。1人で飲んでいると、酩酊というより、麻酔や麻痺といった感覚に近いものを味わう。これを書いている。"書く"などという大層な行為ではない気がする。相変わらず不健康な暮らしを送っている。少なくとも昨日と今日は。外に出ると相変わらず夏だなと思う。天気の話ばかりする自分に違和感がない。それどころか安心する。大事なことを先送りにできる。作業台の上にペンやドライバー類を入れた瓶が置いてある。10年以上使い続けた愛用品を写真に撮っておくということをしようかと思っている。10年以上使い続けているものといえば、意外にも服がそうだ。革のジャケットなどは15年以上着ている。しかし毎日使うようなものとなれば話は別だろうな。時計くらいだろうか。それとても毎日はしていない。自分の肉体ほどに長く付き合うものはない。しかしその肉体の整備を怠っているというのは重大な問題だ。

2016/09/06

2016/09/05

移動中でもすぐ構えられるようにカメラストラップを導入しようと思っている。使うとき以外はバッグの中にしまいこんでいるので、ストラップは使っていなかった。首から下げると、前かがみになったときにカメラをあらぬ方向へブラブラさせることになり、それが気になっていたのもある。バッグでもなんでも持ち物は身体に密着する形でないと、行動を制限される気がして、ストレスになる。(中断)

(再開)このあと、すこし散歩をし、歩きながら何枚か写真を撮った。帰ってきてブログを書こうとするも眠くなり、そのまま寝落ちてしまった。

2016/09/04

2016/09/04

雨の心配はなさそうなので、自転車で出る。はじめは違和感があったフリーギアにも慣れた。下り坂で脚を止めて、惰性で下ってゆくというのは大変気分のいいものである。しかしスピードは出ない。上り坂などは固定ギアのときより少し苦しい気がする。
麻布の起伏に富んだ地形を徘徊する。今季初めてのガリガリ君を食す。夏場の自転車行は多くの水分を必要とする。ドリンク代がかさむのもバカバカしいので、自宅から水を持って来るべきだと常々思っているが、いつのまにかに9月、夏も終わりに近づいた。
日が沈む前に気になっていた場所の写真を撮ることができた。三脚を立てて撮ることもできるのだが、最近それがどうにも億劫で仕方ない。背中のメッセンジャーバッグからカメラを取り出すという行為にもなにがしかの心理的圧迫がある。装備を見直す必要があるな、と思う。自転車をフリーギアにしたのと同じように、持ち物についても、もう少し快適さを追求してもいいだろう。それにしても今はまだ暑すぎる。涼しくなれば写真を撮るのももっとスマートにやれるかもしれない。
帰りに業務用スーパーに立ち寄り、缶入りの豆を買う。暑いので炭酸水を思う。暑さと疲労でぼんやりしているとき、小さくなって炭酸水の中に飛び込む夢想をする。コーラやサイダーはベタベタするので飛び込みたくないなと思う。冷凍庫の中の食材たちを眺めて、涼をとった気分になる。暑さのせいか、無理な体勢でファインダーを覗いていたせいか、いつの間にか頭痛がし始めていた。


人々

いっそ外に出る動機付けのためにポケットモンスターG.O.でも導入すべきなのかと思う。ポケットモンスターと言うと、サウスパークのチンポコモンを思い出す。パロディらしい。見たことはない。しかしどうせ歩くなら、写真を撮るという行為を優先したい。
勘のいい君達のことだ。私がこのポケモンムーヴメントに対して、意外にも悪感情を持っていないということは、この記事を読む前からわかっていたことだろう。思えばポケットモンスターについて真剣に考えを巡らせたことのない人生だったが、一定の層に対してあれほどの訴求力を持っていたということに、一種の感動を覚える。世の中にはあれを腐す向きもあるようだが、歩行につぐ歩行で運動になるのはいいことだと思う。

一日の終りに

今日一日外に出なかったということに罪悪感を覚えている。外に出ない理由を無意識に探している。雨が降ると気が楽になるのが、その証拠だ。自分で自分を楽しませる、自分で自分を鼓舞することに困難さを感じる。セルフ。ところで祖母は昆布のことをコブと発音していた。いまこの記事になんらかの写真を貼って彩りを添えたい。ところで料理するとだいたい茶色っぽい物が出来上がる。醤油のせいだろう。

ところで

このブログには写真が少なく、いまいちパンチに欠ける
寂しい眺めだ

句読点無し

地図を読む

何も食べないというのはあくまで日中のことであって、夜は普通に食べた。
昼間のうちにどこかに出かけるべきだと思いながら、夜まで過ごした。
夜は夜で、天候が怪しげになってきたので、結局外出せずに日がな一日家にいた。

青空文庫で島崎藤村の「嵐」を読む。短編だと思って読み始めたら意外に長い。舞台となっている麻布飯倉片町の戦前の地図と、文中の描写を突き合わせて、当時の景観を考察してみる。確証は得られないものの、地形についてはなんとなくつかめてきた。わかったところでどうということもないが、戦前の面影が垣間見えると感慨深い。今現在の東京の姿は無数の自覚なき写真家によって膨大な数が撮られているだろうが、それらを現実の景観に付き合わせて整理する行為は、たいへんな労力を要するだろうと思う。自分が撮る写真は今のうちにわかりやすくまとめておかねばと思う。ここ数年のデータを見るだけでも、消えた風景がいくつもある。

2016/09/03

2016/09/03

起床即皿を洗い、ベランダに出て日照を見ながら、家庭菜園を思う。最近あまりにも不摂生をしていたので、なにも食べないことにする。それとは別にいくつか調べることがあったなと思い出す。水を一杯飲むだけにとどめる。日差しが強い。

調べものをしてメールを送信したら腹が減ってきた。やればすぐに終わることでも、音楽をかけたり、まったく関係ないことを検索し始めたりする傾向にあり、とても効率が悪い。マインドフルネスという認知療法があり、集中力を回復できるらしい。確かに集中力さえ回復できれば、何もかもうまくいく気がする。

フリーギアこわい

足止めてるのになんで前に進んでいくんじゃ…と最初は思ったものの、慣れてくるとバイク(モーターサイクルのほう)に乗ってるような気分になり、新しい乗り物のような感覚がした。すべて錯覚である。
固定ギアのような漕げば漕ぐほどスピード出るという感覚は失われたが、楽。ギア比は固定の時と同じ3.0だが、だいぶ軽く感じる。ギア付きのロードバイクに乗ったら、どんなにか爽快だろうと思う。しかし今は大汗をかいているため、Tシャツが濡れておりたいへん不快である。

2016/09/02

2016/09/02

パーツクリーナーを買ったので、自転車のメンテナンスを実行する。数週間前から、左ペダルを踏んだときに異音がするのが気になっていた。外した左ペダルのシャフトを回してみると、グリスが切れかけているのか、ゴリゴリした感触がある。分解してグリスアップすることにする。MKSのシルヴァンロードという金属製ペダルにholdfastのペダルストラップを少々強引に取り付けているが、ペダルのシャフトを抜くために蓋を外さなくてはならない。この蓋外しのための専用工具は、持つ部分がどうにも短いように思う。力が入りにくい。大汗をかきながら蓋を外し、グリスを塗って元に戻す。一連の作業の直後はスムースな回転をするのだが、乗っているうちに、なぜか左ペダルだけがどんどん締め込まれていき、回転が鈍くなってしまうのだが、これは自分の漕ぎグセのせいか。以前使っていた樹脂製のフラットペダルでも同じ症状が出たので、シルヴァンロードが悪いわけではないと思う。
ついでにクランクも外し、チェーンも外して洗うことにした。BBは面倒なので増し締めにとどめる。チェーンはパーツクリーナーではなく、油絵用の筆洗油で洗っている。昔、油絵を書いていたことがあり、その残りを転用している。成分を見るとほぼ灯油である。冷凍食品のグラタンが入っていたアルミ皿に筆洗油とチェーンを投入し、しばらく放置する。それにしても床に膝をついて作業するのがつらい。作業台を作るべきなのかもしれない。チェーンを筆洗油の皿から取り出し、ウェス代わりの使いふるしの靴下で拭く。なんとなくリアホイールを外し、左右入れ替えて固定ギアからフリーギアにした。自分は固定ギアでも、ブレーキを使わないと止まれない。それならいっそフリーにしてみるかと思い、そうした。ホイールを取り付け、チェーンを装着する。今回はチェーンオイルに防錆オイルを使うことにした。粘度が低いので長持ちはしないだろう。前後のタイヤの空気も入れる。最近なぜだか空気が抜けるのが早い。チューブの交換時期だろうか。いつもなら、メンテナンスのあとにすぐに乗り心地を試すのだが、今日はこうしてブログを書いている。

2016/09/01

家庭菜園を思う

空芯菜 茎ブロッコリー チンゲンサイ グリーンリーフ

終末に備えてなにか食べられるものを作ろうと思いたってから数年経った。
閉店間際のホームセンターで、目についた苗の名前をメモした。本当は大豆などのタンパク質を育ててみたいが、それだと畑になってしまう。結局面積をどれほど確保できるかということが重要なんだろうか。
五輪開催が間近に迫ったネオトーキョーで、作物を作るための土地をめぐっての闘争が繰り広げられる。野菜を育てる理由、ただ楽しみのために、だけでは不十分で、こんな脳内お膳立てをしないとなかなか踏ん切りがつかない。しかしよく考えてみれば土地をめぐっての争いなどしたくなかった。自転車のメンテのためのパーツクリーナーだけ買って帰る。暑いので炭酸水を思う。ペリエは地の底から湧いてくるらしい。水源はペリエ社によって厳重に管理されていると。オリンピック後のネオトーキョーで突如湧いた炭酸水の水源をめぐって起きた争いのことを思う。

九月

九月、ということで、その単語から連想するのは、軒上泊の「九月の町」、あるいは、R.E.M.の「Nightswimming」の詞にある、" September is coming soon "の一節だった。九月、Septemberという文字自体に、現実の九月以上のセンチメントを醸しだす響きがある。

「九月の町」には、少年院という一般社会とずれた環境にある少年がいて(いるらしい。読んだことがない。)、「Nightswimming」には、何らかの要因で自分の属していたコミュニティや社会からずれたところにいる者の独白がある。何らかの要因はセクシャリティかもしれない。わからない。マイケル・スタイプ本人の言うとおり、夜泳いだ思い出だったり、誇大妄想の夜間警備員のことだったり、ジャック・ケルアックのことを歌っているかもしれない。

ピークでなかったり、主流でなかったり、狭間の状態にあるという中途半端さと、九月という移り変わりの時期という認識が結合して、実際以上の感傷を自分に感じさせているのだろうと思う。そういった狭間の中途半端さが、空気の匂いや風といった自然現象をともなって、ごく短い時間現れることがある。年を追うごとにその時間は短縮され、今では一瞬の感覚として認識されるのみになった。







上野・不忍池