2013/10/31

#024 すまない

いま非常に気分が悪く、とてもまともな文章が書けるような状態ではない。原因は酒です。時々こんなふうになる。ひたすら水を飲んでやり過ごす。

#023 吉兆と凶兆と感覚

少ないながらも、何度か人の死に立ち会ったことがある。病人が息を引き取る前の室内に、ガスのような独特な匂いが漂っていたのを思い出す。昔飼っていた犬が死んだとき、弱って床に横たわる犬のそばにいると、同じガスのような匂いが漂っていた。最初に犬が臥せったときは、もう死んでしまうなどとは思いもしなかった。その日の夜中に犬は死んだ。あとから考えてみればあの匂いが鼻を突いたときに、もう命が短いということを自分自身解っていたように思う。あれがおそらく死臭というものなのかもしれない。死臭は停止した肉体だけが出すものではないようだ。

顔貌や声が記憶からたやすく失われてしまうのに対して、匂いや触覚は人間の感覚の中を想像以上に長く生き延びる。死臭のような凶兆とも言える感覚があるのなら、それとは反対に、吉兆と呼べる匂い、触覚、そんなものもあるのかもしれないとも思う。

2013/10/30

#022 真顔

最近よく使っている言葉に"真顔"という言葉がある。単に表情を指すわけではなく、姿勢、概念といった意味で(ほぼ自分ひとりだけで)使っているのだけど、きっかけは友人が発した「浜省はなにやっても常に真顔なんだよね」という言葉だった。浜省は浜田省吾のことで、彼の真摯な人間性は音楽を聴くとよくわかる(たぶん)のだが、その一方でネタ的に扱われやすい。ダウンタウンが浜省だらけの野球対決なんてネタにしてたでしょう。あの感じ。"MONEY"も有名な曲のせいか、パロディ的な扱われ方することが多い。悪意のあるものではないとは思うけどね。浜省の話はおいておこう。とにかく"真顔"という概念が発生したのは、こういういきさつでだった。
自分の中での"真顔"の概念、それは暑苦しい真剣さでも、他人に強いるような謹厳さでもなく、他者への寛容と、弱さを認める勇気、タフさ、いつも静かに微笑をたたえているような類いの、一種の人間性であると規定されるようになった。数ヶ月という時間を経て深まっていった"真顔"、この言葉をあらためて頭の中に巡らせてみたとき、思い浮かんだ名は、ケン・ローチだった。イギリスの映画監督で、作風については各自検索してほしいが、そのケン・ローチの作品である"マイ・ネーム・イズ・ジョー"の主人公が自分の中の"真顔"を体現する人物として浮かび上がった。"ジョー"は、アルコール依存と戦う失業中の中年男で、決して明るいとはいえない状況のなか、ローカルのサッカーチームの監督をし、若者たちからの人望厚い人物だ。彼は、依存症患者の集まる自助会で、自分が過去に犯した罪や、現状に対する不安を正直に口にする、そしてそれから起こる様々な出来事の結果、彼は過去と同じように再び決定的な間違いを犯すことになるのだが、彼の"真顔さ"すべてが損なわれたわけでなく、本当に小さなかすかな希望を残ったことを示して物語は終わる。正しさだけが"真顔"なのではなく、悪をなすこと、目にすることによって近づく"真顔さ"、自分を殺さない"真顔さ"がジョーという人間にあった。
こんな風に"真顔"に惹き付けられる自分はもちろん真顔ではなく、自分に正直でもなく、悪くふざけがちな人間だが、音楽、映画、なんでもいい、これからどんどん発掘していって、この"真顔さ"という概念を広めていきたい。

2013/10/29

#021 帰り道について

クラブやライブ、飲み会など、賑やかな場所に出かけたその帰り道でふと襲われる虚しさ、昔は自分だけだと思っていたが、どうも予想以上に多くの人がこの妖怪に危害を加えられているらしい。たくさんの人としゃべり、笑い、楽しんだはずなのに、電車の座席に座って弁護士事務所の過払い金返還訴訟についての広告を見るともなく見ているときに襲われる虚無はなんなのか…
単純に楽しい時間が終わってしまったという寂しさだけじゃないでしょう、あれは。自分の経験と聞いた話などを材料に少し思いを巡らせてみると、どうもその楽しい場で受け取れるはずの決定的な何かを受け取れなかったのではないかという自省のような思いが帰り道で反芻されるのでは、という結論に至った。つまりは不完全燃焼に近いと。あるいは、人によっては楽しいこととか、うれしいこととか、そういうプラスの感情(とされる)ものを受け取るにも許容量があって、限界を超えると自動的に虚しみに襲われるようになっているとか、そんな機械的な反応の可能性もある。
そもそも虚無とか虚しみとか、自分で言っていて具体的にどんな状態なのか言い表せないわけで、正体がわからない以上、こちらから打って出るのは難しい。こいつらに襲われないようにするには、どうしたらいいかというと、これらの事象について人と語り合うしかないのではないかと思う。だからみんなもこの街のこの道で虚無に襲われたとか、そういう情報をどんどん共有していくべきだと思う。
ちなみに一日中街を歩いたあとの肉体的な疲労からくるポカンとした感じは嫌いじゃない。

2013/10/28

#020 いいのぜ

最近本当にA.R.B.ばかり聴いていて我ながらおかしいんじゃないと思うことが多い。まるで今という時代のために書かれたような曲ばかりだよ。これを読んだら、youtubeなりなんなりで検索して聴いてほしい。歌詞にも注意してな…余計なお世話スマソ。つい、な…それでな、youtubeにアップされた初期A.R.B.の動画を見ていて、おれは人間にはその時々にしかない輝きっていうものがあるんじゃないかということを考え始めた。(もちろん歳を重ねたうえでの良さというのはある、それは間違いない。)
なんちゅうかなこう…偉そうなことは言えないけどアー…いま若くて自分のやっていることがなんとなくダサくてかっこわるくて嫌になっている人もいるかもしれないけど、もしかしたらそれはそんなにかっこわるいことでもないんじゃないの?そう思う。これ…前段と全然関係ない気がするな…
なんだか、かっこわるいことはなんてかっこわるくないんだろうみたいなそんな、いやこれは単なる言葉遊びだな。とにかく、今とか過去とか関係なく、痛さとかそういうものを許してもいいし、それどころか、かっこいいものとしてもいいんじゃないかと思う。現在過去未来、なにもかもがジャッジされる世の中なんて俺は嫌なんだよ!

2013/10/27

#019 傘

雨が降るといつも傘なんて必要なのか?と思う。濡れるのを防げるのは頭と肩くらいで、結局腰の辺りまで濡れるだろうが!と、毎回憤っている。だいたい人間がいま現在当たり前に使っている品々はまだ不便な点だらけだと思う。といっても、どう改善すればいいかは思いつかないんだけどな。

2013/10/25

#018 I haven't got a stitch to wear

着る服がないんだ本当に。もちろん太ったからなんだけど、それにしたってこれはないだろうというくらいに、着る服がない。無印のパーカ(パーカー?どっちなんだ、誰か教えてほしい)2着しかない。下に着るTシャツすら悲惨なことになっている。太るとシャツばかりになる(ごまかせるので)、しかしシャツの上に着るような服は持ってない、というか秋の服はまったく持ってない、Gジャンしかない、Gジャンはサイズジャストなので今は着れない、八方塞がりだ!
おれもプリントTシャツを着てジーンズを穿いてスニーカーを履きたい人生だった…プリントTシャツ、あれ普通なようでいて実は難しいだろ?なぜそのプリントを選んだのか、着用者の審美眼が直に問われるじゃないか。おれは、自分のセンスを堂々と開陳して街を歩けないルーザーだ…何を選んだらいいかわからないので、Tシャツを買うときはいつも無地のものを選んでいた…そんな自分に別れを告げるために次はプリントTシャツを買うかというと、そんなわけでもなくまた無地のものを買おうとしている。しかも色は黒と白で同じものをいくつも買おうと思っているので、結局人間変わらないものだと感じている。そもそも服を選ぶのに迷いたくないので2種類の服しか持ってないという設定だったことを忘れていた。とりあえず痩せたら、Tシャツと上に羽織るもの買ってそれでおしまい!そういうことにしました。ああ、靴もボロボロなのでなにか買わなければいけなくなるだろうな…スニーカーでいいのかな。ブーツはあるしな。

今日は心ここに在らずなので、つぶやきみたいな記事になってしまいました。

#017 幻としての東京

あまり旅に出ることがないが、地方の風景に興味がないわけでもなくて、機会があって出かけるようなことがあれば、それなりに興味をもって他国(江戸時代感覚)の風景を見ている。自分はいわゆる田舎の風景、田園風景などに幻想をもったことは意外となくて、何を思うでもなく、ただ眺めていることが多い。
しかし自分が生まれた場所である東京に対しては強固な幻想、幻としての東京を手放したくないという思いがある。ここで重要なのは、その幻というのは、首都東京であるとか都市という概念であるとか、そんな抽象的なものではない。それは単純な風景、景観とそれに付随する空気や色や温度湿度という身体的なもので、体感として受け取ることができるものでなくてはだめだ。条件さえ整えば、いつだって味わうことのできる幻…もうずっと長い間そんなものは見ていないのだけど、そうではなくてはならないという思いがずっとある。甚だ未整理な文章であるけど、こんなことが前提として頭の中にある感じかな。

2013/10/24

#016 寝覚めのメモ(再掲)

おはようございます。
夢の中で、友達と夜の住宅街を自転車をふたりのりして子供のように走り回っていた。
プラスチックの銃のような形をしたなにかを、あらゆるものに狙いづけながら、めくら滅法走り回る。コイツの本当の握り方はこうなんじゃないかなと自分が言えば、いや今のままでいいんだと答える。そうか、と答えながら、手の中で自分なりの握り方をしてみる。彼は一つ年上で、僕は彼が自分とまったく同じでないということがあっても気に病むこともない。まったく同じでないということ、それ以外では自分たちはまったく同じだからだ。
銃のような形のプラスチックはやっぱり僕のするような握り方を要求していると思っている。それで彼は自転車を止めて行き過ぎる車にちょっかいを出す。パトカーかと思った車はタクシーで、僕たちは闇に紛れるように縮こまって歩いていった。公園の隅には煌々と灯りがあって猫がハンモックのようなもので寝ていた。なにか二言三言、彼と交わした後、目を覚ました。目を覚まして、もう何年も経ったということ、忘れてしまったことが幾つもあることに気がついて、横たわったまま、悲しいと感じていた。



もう会わなくなった友達が出てきた夢を覚えておこうと、明け方の布団の中で携帯にメモした文章。

2013/10/23

#015 シャドーシティー

古い町並みだとか、寂れた商店街だとか、そんな風景を見るとつい写真を撮りたくなるが、ああいったものがなぜ、人を惹きつけるかについては、考えたことがない。と書くと、今から考察が始まると思うだろうがそんなことはない。
おれはそんないまはもうパッとしていないか、あるいは無用になってしまったものを見ると、たくさんの人が集まって愛されて祝福されていた、そんなある一時期の光景を眼前の現実に重ねて再生してみる。だがそれらが一度だって輝いてたときがあったのか?誰にだって全盛期があるように思われがちだが、そんなことはないだろう。かの有名な映画ロッキー(いい映画なのですぐに見た方がいい)で「俺には全盛期なんてなかった!」と言うワンシーンがあるが、そいつはその通りでそうだというしかない。寺尾聰の曲でシャドーシティーというタイトルがあるが(寺尾聰なのですぐに聴いたほうがいい)、一度も陽の目を見ることなく朽ちていった風景をシャドーシティーと呼んでいったらいいんじゃないか、そう思った。本当にたったいま、そう思った。

2013/10/21

#014 fov

すごく眠い 町の明かりを見ていたらなんだかもうクリスマスのような空気が漂い始めている気がした。気温でも空気の湿度でも匂いでもないし、これはなにがきっかけになってるんだ、眠いからか、そうか…(中断)

皮膚感覚でもなく、匂いでもないなら、視覚経由で感じとったということで、ならその原因はなんだと考えてみると、どうもそれは汚れた窓越しに見たからではないかと。冬といえば、空気が澄んで遠くまで見えるイメージがあるけど、吐く息は白く、ストーブに乗せたヤカンは湯気を出し、焚き火がスモークを上げるものな。だから視界不明瞭であることに冬を感じてもおかしくはないことなのだと自分を納得させた。

クリアーで鮮明な視界だけじゃない、ザラザラしてブレてるのが本当の夜の姿だろっていう写真のムーブメントがあったそうじゃないか?写真だけじゃない、自分の視界だってリアルタイムで加工してもいいんだ、そんな気分で夜にサングラスをかけていることがある。明度を下げた街の姿は実に夜っぽく、青くはなく黒々としているが、こいつは正直危ない。主に安全の面で。ヘッドライトを消して漆黒の闇を走るのも楽しそうだが、できそうにもない行為だ。せめて特殊なゴーグルでも装着して、夜を改造して楽しみたいもんだ。

2013/10/19

#013 窓から

窓から外を見ると角の寿司屋はまだ店を開けていて不思議な気分になる(この一文を書いたのは20時頃)。それはいいとして、読者は幼少時にこんな想像をしたことはないだろうか。
窓から外を眺めているとーそれが深い夜であればなおのことー、自分がいまいる家というものが、天地を動き続ける列車のような移動体に思えてくる、そんなことはなかっただろうか。と、ここまで書いてなにも浮かばなくなったので、いつものとおりに書き散らしていくか。こういうモービルホーム憧れ(ザックリした言葉だな)って、アメリカ発祥なんだろうか。古くは開拓時代の幌馬車から、現代のトレーラーハウス…あれは動かすものではないらしいが…、移動に対する強迫観念めいたものは、自分たちの生殺与奪権を誰にも握られたくないというか…銃を持つ権利だとか…そんなことはどうでもいいや。

不自由なことばかりで本当に嫌になるぜ!

#012 段差

太って身体が重いので、動きづらい。単純に走るのが遅いとか、そういう水平方向の動作よりも、腿くらいの高さの段差を降りたり上がったりという垂直方向の動作に入る時に、状況が悪化した場合の深刻な鈍重さを予感する。運動神経のよい活発なタイプであった読者諸君には想像もつかないかもしれないだろうが、この"自分の身体をうまく扱えないという感覚"は、おれのような運動音痴(この言葉、あまり使いたくはないが)にとってはそう馴染みの薄いものではない。と、ここまで書いておいて、もう特に言うべきことはない。つまり、体重を落とせばある程度の自由は戻ってくる、ということをおれは言いたいのだろうか?言いたいことも話したかったことも、全部眠気の中に吸い込まれてしまったようだ。また今度。



#011 文章

既に19日の朝になっているが、就寝前なので18日の分の記事として投稿する。

どうも人間はじめから好きなものばかりではなく、ある瞬間に、これが今必要だ、と合点がいくような、救いになってくれるような表現がある気がする。表現と言っておいて、映画と音楽のことしか念頭にないけど、特に音楽は、はじめは全く感じ入るところがなかったのに、突然何回でも再生できるくらい好きになることが、時々ある。ない?まあなくてもいいや。こんな風に未整理なまま言葉を連ねていって何になるのかと考える。何週間、何ヶ月、何年、のちに自分がこの文章を読み返して何にもならない、そんな光景を頭の中で想像してみる。たぶんその想像の通りだろう。理性的に頭に思い浮かべた以上のことは起こり得ない、そんな風になっている気がする。いいことも悪いことも。

いま05:52。
朝になっちまったな。

2013/10/16

#009 走るかな

あまりに太りすぎてもう着る服が無くなったので、走ることにした。6月に秋を先取りして買ったジャケットも着れない状態だし、動きづらくて出不精になってることは間違いない。ここで報告というか話題にしていけば、ある程度続いていくのではないかと期待している。
とは言うものの、今この記事を書くのにもえらい時間かけているし、大丈夫ですかね。
破戒したら破戒したでしょうがない、と今から言ってしまえば逆に続かないかな。というわけでちょっと走ってきます。



帰ってきました。相当なまっていたらしく、すぐに足が痛くなって歩きへと移行してしまった。そのうえ雨が降り出して、これはもう走るなということか、とめげそうになっていたら雨がやんだので、走って歩いてを繰り返してこれでokだということにした。アッつまんないな今日の記事…

2013/10/15

#008 何も思わず

9月から10月にかけての時期、暑さが消えて風が冷たくなってくる時期には、なんとなく感傷的な気分になったりするものだとは言うけれど、自分について言えば、ここ数年はめっきりなくなった。数年どころじゃないかもしれない。金木犀の匂いというけど、特に匂いなんて感じずに歩いている自分がいる。こう、都内の街を歩いていても、どこへ行っても同じというか、どうしようもないなと思いながら歩いている。あまりに漠然とした言葉だとは思うけど、そうとしか言いようがない。俺が悪いのか。
そうはいっても街は変わっていってるらしい。下の写真は上から、東新宿、富久町、歌舞伎町。歌舞伎町はコマ劇跡にビルが建ち、広場のステージ状の構造物が取り除かれているし、すっかり変わってしまうのだろうか。でもあまり感慨深いとも思わないな…オリンピックが開催される2020年までにどれだけの変貌を遂げるのだろうか。…こういう文章もインターネット上にいっぱいあるんだろうな…自分で書いてて嫌気がさした、正直。




#007 今年はギター音楽がくる

予知能力があるので今年はギター音楽がくると思っている。そろそろみんな演奏がしたくなっているんじゃないかな…

ARB - トラブルドキッズ

ARB - ONE WAY TRIP

ロックンロールはネタ的に捉えられやすい音楽だと思うけど、ARBは常に真顔なので今聴いた方がいい音楽だと思う。歌詞も味わって。ギター音楽なので生演奏の動画が適切だと思い、ライブ映像を貼った。そういう自分は生演奏聴きにいったりとか全然しないけど。

あと、ロックンロールじゃないギター音楽としてこういうのも来年あたりくるんじゃないかな。

Гитара семиструнная. Цыганская гитара.

そもそも読めないし、なんていう曲かわからないんだけど、ロマ(ジプシー)に伝わる曲で、七弦ギターを使って弾くものらしいな。関連動画をみてみると、Sergei Orekhovという七弦ギタリストの演奏してるものが有名らしい。

Paco de Lucia - Rio Ancho

これはすごくいいね。ギター一本で弾けたら、なにか喋るよりよっぽど効率いい気がするよな。

こうやってyoutube動画貼っていくのもいいけど、元の動画が削除されたら記事の意味もなくなるんだよね。それは虚しいので、違ったやり方を考えていくかな。

2013/10/14

#006 音で思い出す

人生のある一定の時期によく耳にしていた音楽が流れてくると、それがある感情や記憶を呼び起こすということはよくあることだろう。私の場合、Talking Headsの"Wild Life"と"Girlfriend is Better"を聴いたときの反応がそれで、憂鬱な高校時代の通学時間の風景が、ほぼ反射と言っていいほどの早さで、脳裏に甦ってくる。懐かしいとか楽しかったことであるとか、そんな良い思い出ではない性質の、そのネガティブな想起のされ方については、あまり話題にされていないように思う。
ただし、ここでそれについて深く掘り下げるようなことはしない。
最近にこれらの動画を再生したとき、かつてのような即時的な反応はもはやなく、何も感じない自分がいることに気づいたからだ。どうも忘れっぽくなっているらしい。

Talking Heads Wild Wild Life (HQ)

Talking Heads - Girlfriend Is Better (Stop Making Sense)

2013/10/13

#005 時間が経ったんだな

4年前だったかな、道端に置いてある自転車で、変わったハンドルのものが目に入ったことがあった。スポーツジムにあるフィットネスバイクのようなハンドルだった(詳細はここでは重要でないので省く)。ちょうど自分が自転車に乗り始めて間もない頃だったので、そんな路傍のチャリにも目が留まるような精神状態だったんだろう。
今日、その自転車が置いてあったところを通りがかって、ふと4年前のことを思い出した。4年の間に何度もその場所は通ってるんだけどね。で、その自転車はもう無いんだ。そりゃそうだよな。4年間も不動でありつづけるものなんて、そうはないよな。樹木じゃあるまいし。それで、ああ時間が経ったんだな、と思った。それだけ。


2013/10/08

#004 iOS版Blogger

評判の悪いiOS版Bloggerから投稿してみる。
そもそも携帯からブログ記事投稿というのはポピュラーな行為なのだろうか(なんかほぐれてないなこの文章)。
ブログ記事とは、パソコンの前に座ってじっくり書くものであるという偏見がある。
もともとブログってのは、インターネット上のジャーナリズムという性質が強いんだったかな。
ちがうかもな。覚えてないな。ブログ黎明時代…覚えてないな。
大体ジャーナリズムってなんだ?他人に噛み砕いて説明できない言葉を使ってていいのか?そんなことはどうでもいいか…今のところ、このアプリにおかしなところはない。写真のアップロードも試そう。


普通だな。文章と写真だけならオッケーである。
YouTubeとか貼りたい人は面倒かもしれんね。やはりパソコンは偉大である。

と、このように携帯電話(iPhone5)での文章作成では、まるでメールや個人的なメモのように、
とりとめもなく未整理な内容になりがちだという一つの事実を発見できる。

思い出した。苦手だったな。作文。

2013/10/07

#003 作文だぜな

ツイッターで、「マイナスに方向に全力で走る癖がある」とつぶやいた。
見れば(読めば)わかるけど、「マイナスに方向に」、おかしな文章だ。
「に」ってなんだっけ?助詞?
前世で学んだことは、ストレージがクラッシュしたために取り出せなくなった。

こんな短い文章でなぜ間違うのか?
「マイナスの」と、タイプしている時点で、頭が「方向に」のことを考えているのだろう。
文章を声に出して読む時は、先々の文章を視界に入れて意識していないと、
噛んでしまう(これは発声が覚束なくなるという意味)傾向にある。
文章を書くにあたっては、逆ということだろう。

同級生で、作文を書くときに文章の中の「っ」を必ず忘れるやつがいた。
何度注意されても直らず、卒業文集の作文には修正した箇所がいくつもあった。
彼は絵がうまかった。字もそれなりにきれいだった。
ひらがなやカタカナや漢字のひとつひとつが、あいつには絵に見えていたのかもしれないな。

#002 今年見た映画

2002年から鑑賞した映画をメモするようになった。
当時の友人がやっていたのを見て真似するようになったが、
その時は「一度見た映画忘れるもんかねえ…」と思っていた。
が、メモを確認して初めて見たことを思い出せるような映画も多い。
その友人とも今では音信不通になり、いつかまた声をかけようと思っていたこと、
そしてそう思っていたこと自体をも忘れるような時間が経過していることを思い出す。
メモしたテキストファイルはいくつものパソコンを経由してきた.txtであり、
そんなことに幾許かのセンチメンタルを感じさせられることもある。
  • チャイナ・タウン
  • ロッキー2
  • スクリーマーズ
  • リアル・スティール
  • キミと僕の虹色の世界
  • ルート・アイリッシュ
  • 再会の街で
  • クリーン
  • あなたになら言える秘密のこと
  • 夜の訪問者
  • ライムライト
  • ビッグ・ガン
  • グライド・イン・ブルー
  • 思秋期
  • バトルシップ
  • ダークナイト・ライジング
  • 息もできない
  • レディ・アサシン
  • ブラザー・フロム・アナザー・プラネット
  • 真夜中のピアニスト
  • ダークナイト
  • トータルリコール
  • ル・アーブルの靴磨き
  • ドライヴ
  • ロッキー3
  • ローラーガールズダイアリー
  • マイ・ビューティフル・ランドレット

2013/10/02

#001 A Personal Test

言いたいことがなにもなければ、ただTESTと記せばよい。

If you got nothing to say, just type "test".