2021/10/31

徘徊録0012

2021/10/30 の散歩の記録

吉祥寺から調布の飛行場というおおざっぱな目的地を目指して歩く。
出発前に吉祥寺のキラリナを覗いてみると、フランスの冷凍食品専門店という変わった店がオープンしていた。

井の頭公園のなかを通り過ぎる。池にかかる橋を渡ったが、人が多い。スワンボートも盛況である。住宅街を抜けて黒門という謎の鳥居をくぐる。あとで調べたら、井の頭公園のなかの弁財天の入り口にあたるらしい。黒門をくぐればそこからは参道ということなのだろう。

井の頭公園通り(あとで通りの名前を確認した)を北西に歩き、吉祥寺通りに出る。考えてみれば公園を抜けるルートは遠回りだったわけだ。

下連雀の住宅街を南西へ歩き、仲町通りを経由して連雀通りへ出る。
歩道が狭い。すぐ若葉通りへ入る。Moronというカフェがある。右折して三鷹金属の脇を通る。暗渠らしき川が地表に顔をのぞかせている。この辺の建物はどれもやけに年季が入っていて味わいがある。三鷹通りを南下して山中通りを西へ行き、コモディイイダに入る。ペプシコーラ600mlを買う。コモディイイダにはおそらくはじめて入ったが、空の商品棚があったりして昔の商店に来たような変に懐かしい気分になる。

南下して住宅街を縫うように歩くと、『三鷹オーガニック農園 キッズ体験ファーム王国』という農地があり、ここには王国もあるのかと感心する。都営住宅の敷地などを抜けて、武蔵境通りへ出る。道路脇に農地があり、給水所があり2基の配水塔がある。通りを渡ると普通の住宅街、だが銭湯があったり、大きな木がそこかしこにあったりして、以前の地域の姿というものを偲ばせる。『こども林間研修広場(なんじゃもんじゃの森)』がある。調べると、三鷹市内の団体が利用できる子供向けのデイキャンプ場ということらしい。森というか公園といった風情だが、こんなところでキャンプするのも逆に面白いものかもしれないと思う。しばらく行くと鉄塔がある。家並みの隙間から遠くに給水塔が見える。森に鉄塔に給水塔がある町か、と思う。廃業したと思しき商店や経年した家並みから田舎の祖母の町を思い出す。校庭の真ん中に大きな木がある三鷹第二小学校の前を通り過ぎる。木をそのままにしておくところに好感を覚える。

人見街道を進むと、二又三又に分かれた道に出くわして困惑するが、どれを進んでも同じだと地図を見て確認する。

野川を渡ったところに、『ハッピープラザ マーサ』という商店があり、店頭に90年代初頭のアニメのかるたや下敷きが100円50円で売っている。リバティハウスというアメリカンスタイルの美容室がある。御狩野という蕎麦屋にはハロウィンの飾り付けがしてあった。

大沢グラウンド通りを行き、調布飛行場を見下ろす『展望の丘』にたどり着く。ベンチがいくつかあり、家族連れや老紳士が座っている。10人ほどがその丘の上に集まっているが、誰も不思議と言葉少なで、そのことがたまたま同じ景観を共有しているだけの他人同士に奇妙な親密さをもたらしているように見えた。






戦時中に戦闘機を格納していたという掩体壕の前を通り過ぎ、今度は野川沿いまで出る。川のそばまで下りてみると、男性二人がチェアリングをしている。スケールは違うが、4年ほど前に訪れた山形の川沿いの風景を思い出す。あれは最上川だったろうか。

一瞬東八道路を歩いてから、人見街道の北側の裏道、三鷹消防署大沢出張所脇の道を歩く。壁に建築確認の表示板があり、ここは取り壊すらしい。天文台通りから裏道に入る。大沢青少年広場というなかなかの広さの公園がある。富士重工業スバル寮の前の道をずっと北上し、山中通りへ戻る。ホームベーカリーぱぱんというパン屋がある。そのまま行くとY字路があり、Y's Garageという整備屋がある。山中通りの南側の裏道を歩き、武蔵境通りを超え、オーケーストア三鷹上連雀店でフタバダンディーチョコレート(チョコモナカ)を買う。三鷹通りをひたすら北上する。途中には何年か前の夏に行ったガスト三鷹上連雀店がある。三鷹駅前郵便局交差点にあるトレジャーファクトリーに入る。ここは革ジャンの取り扱いがない。三鷹駅南ペデストリアンデッキを上がり、北口に出る。八丁通りの飲み屋街の様子を見る。

中町新道、成蹊通り、御殿山通り、吉祥寺通りを経由してスタート地点である吉祥寺へ戻る。コピス地下のKALDIとレンガ館の様子を見て、ヨドバシカメラ、貴和製作所に立ち寄る。帰宅。

2020/10/19

Podcastをはじめた

Podcastというものを8月半ばにはじめて、もう2か月ほどになる。
ラジオ放送については、これまでぼんやりと考えることではあったのだが、インターネットという不特定多数のいる場で声を発することは、自分にとって大変ハードルが高く、それはあくまでも頭の中だけの夢想に近いものだった。羞恥心の壁を越えて自分に放送をはじめさせたのは、昨今の状況におけるどうにもならない憂鬱や、漠然と抱えている無用の感覚だったように思う。

はじめはRadiotalkというアプリで10分少々気軽にしゃべるということからはじめた。
それも最初に声を発するまではかなりの難儀であったが、自分は外で歩きながらスマートフォンに向かって録音するという形で対処した。屋外で耳にスマートフォンをあてている行為は、 あたかも電話中であると偽装できるからだ。部屋で独り言をしゃべるよりはましだと…
生の声というのは不思議なもので、文字で追っているのと声で感じるのとでは、まるで別の人間であるかのように思える。それだけ発声という行為はリアルであり、身体的なものであるらしい。結局、今では毎日放送するようになってしまい、はじめの逡巡の記憶ももうだいぶ薄らいでしまった。とはいえ、放送の中身自体はそれほど変わりなく、自分としてはもう少しなんとかしたいと思いつつ続けている。

放送で触れた話だが、ティム・オブライエンの『本当の戦争の話をしよう』という短編集で印象に残る一文がある。

"俺は文章を書いていたからこそあの記憶の渦の中を通り抜けてくることができたんだな。"

文章を書いていなかった、自分の心情をあらわすことをしていなかった戦友は、自死することになった。なにかすることが必要だろうかと思う。誰にとっても。COVID-19以前から、なにかすがるものの必要を感じていたように思う。創作か、信仰か(具体的な宗教や神の形をとらなくても)。とにかくなんらかのなにかが必要な気がしている。

これはなんらかのなにかになっているだろうか、と思いながら、覆いかぶさってくる黒い雲から逃げるように放送を続けている。

2020/08/20

不調日記

 いつからかもわからないが、近頃具合が悪い。
身体の不調からはじまり、つぎに精神の不調が加わった。
胃の重苦しさと、ものを飲み込みづらいということに気づいたのは、2か月も前だったか。新型ウイルスのこともあり、外に出ることが少なくなったため、運動が足りてないという自覚はあった。ままにならない身体の調子に業を煮やして、食事に気をつけなるべく歩くなどの軽い運動をした。梅雨明けとともすこしづつそれらの活動を行なっていった気がする。多少は身体が動くようになったものの、つぎは精神的な落ち込みにおそわれるようになった。何を見ても悪い想像をしてしまう。この状態を打開するヒントはないかと、書物をめくる。こういうときに自分が頼るのはたいてい文学作品である。
「そんなふうに気持ちが落ち込んでいるときにだけすがろうなんて、随分と調子のいいいものだな。」
などと思いながらも、いくつかの書籍に目を通す。こんな精神状態のときにはたいてい完走できず、途中で諦めてしまうものだ。たまたまネットで読後感想を見かけたヘミングウェイの『移動祝祭日』を読むことに決めた。「もしきみが幸運にも青年時代にパリに住んだとすれば…」という冒頭の一文で有名な作品だ。ヘミングウェイがパリで過ごした若かりし日々の思い出がつづられているそうだ。これが書かれたのは1958年~60年、事実上の遺作であり、彼はその後、散弾銃で自殺している。心身の不調に悩まされた晩年に、瑞々しく情熱に満ちた若い日々のことを書くとはどういうことなんだろうか、というのが自分の目にした感想文だった。
気分の落ち込みが続く日々というのは時折やってくるものであるが、そこを抜ける時、獲得されたものもあれば死んでしまったものもあると思う。そして大抵の場合、その死んでしまったもののほうが、獲得されたものよりも多い気がしてならない。

2019/11/09

徘徊録0011

2019/11/09

新宿〜四谷〜神保町〜上野近辺
中古カメラ屋など見ながら上野まで行く
毎度のことだが特に物欲が湧くこともなく
上野公園でファッションショーが行われるらしく強力なLED照明が公園内を照らしていた
多くの人が集まっていたが皆ファッションショーを見に来ているのか?
つられて集まってるんじゃないかと思うが、それはまさに自分がつられていたからであって、本当にファッションショーが見たい人たちだったのかもしれない
トーハクが21時までやっているようだが、展示にあまり興味がないので入るのはやめておく
寛永寺の方から鶯谷経由で上野に戻り、アメ横を歩く
服が欲しくなることもなくなったなと思いながら、確かな疲労を感じつつ歩く
散歩は疲れてから本番というような考えも少しある どこそこへ行こうという意志が失われ、疲労で思考も鈍り、ただただ歩くだけの人間になったとき、人ははじめて散歩者となりうる、といったようなことが頭に浮かぶ 最近は歩いていて以前のように考えがまとまったり、感傷的な気分になることもない といっても純粋な散歩者となるわけでもなく、ただただ疲労と邪念に支配されるのみの徘徊と成り果てることが多い
パチパチと手応えのない写真を撮りながら帰宅する
気温は13℃だった





2019/06/09

徘徊録0010

2019/06/08

特に用事もないがじっとしているとどんどん暗い気持ちになってくるので、
Tシャツを買うという口実で18時前に高円寺に出る
PROCLUBのヘビーウェイトのXXLを見つけるが思ったより高かったので見送る
他にこれといって見たいものもなく、酒を飲まなくなって夜の街ともずいぶん縁遠くなったと思う 昔親しくしていた友人たちとは会うとなれば必ず飲み屋に行っていたが、酒に費やすより公園などで語り合うことに時間を費やせばよかったと今更ながら悔いた
天気のせいか歩いていても眼前に黒雲のようにどんよりした気持ちが覆いかぶさってきて、早々に帰路につくことにするが途中で気が変わり、寄り道して環七から中野までの遊歩道を歩き写真を数枚撮った
帰宅してかねてより試していたラジオ配信的なストリーミングをyoutubeで流してみる
どういうわけかストリーミングが止まってしまう ルーターの寿命で速度が落ちているせいかもしれない 配信といっても、単なる手持ちの音源垂れ流しといった内容なので、試行錯誤してまでやる意義を感じられず、やる気を失いすぐにやめてしまった
動きの少ないTwitterのタイムラインを眺めながら、写真のレタッチをやるかと思いつつそれもすぐに忘れていつの間にか深夜になっており、なんとなく床についたのだった



イジリー

イジリー岡田を
イジリー尾形と呼んでいた友達がいた
彼の間違いを指摘したことがあるかどうか覚えてはいない
ただ彼がいちども正しい呼び方をしたことがなかったのは覚えている
間違いに気づいていながら
彼に話をあわせていたのだが
そこには幾分かの嘲りを含んだ調子があったかもしれない

あれから長い時間が経って
彼とも会わなくなって長い時間が経った
いまだに彼はイジリー尾形と呼んでいるかもしれない

自分はどうだろうか
彼の些細な言い間違いと同じような
あるいはそれ以上の
なにかを間違えたままにして
時間が経ったのかもしれない

2018/11/20

徘徊録0009

2018/10/21

上野駅から公園を抜けて三ノ輪方面へ歩く
住宅街を縫うように歩いてジョイフル三ノ輪商店街にたどり着く
洒落たコーヒーショップもあり食料品店も現役でアーケードのかぶさった道も行き交う人で賑わっている 商店街を通り抜け、円通寺の巨大な観音菩薩に一瞥くれて隅田川へ向かう 川を渡れる場所を探して歩き、尾竹橋を発見する 隅田川と荒川を超え、土手沿いを心霊スポットとして名の知れた江北橋方面へ行く 日差し強く、日焼け止めを塗ってきたのは正解だった 途中スケートボードに乗った男性を見かけてその速さに、ひらけた場所での移動手段としての有用性に目を見張る 適当に写真を撮りながら歩き、江北ジャンクション下で土手から外れ、北東方面に足を伸ばしてみる このあたりはいかにも郊外といった感じで、傾いた日差しと乾いた街並みになんとなく郷愁めいたものを覚える コンビニで飲み物とパンを買い、近くの公園で休憩 公園では子どもたちが鳩に駄菓子などを与えていた 再び江北ジャンクションまでもどり、もと来た土手を引き返す 扇大橋を渡って荒川を超える そのまま荒川と隅田川に挟まれた川沿いの道を歩く 自転車、ジョギング、犬の散歩をする人々など、それぞれがそれぞれの活動をしているのが、ここではわかりやすく視認できる 尾竹橋近辺から隅田川沿いを歩き、千住大橋を超え、南千住駅を過ぎ、泪橋交差点を東進して、千住のガスタンクを横目に再び隅田川沿いに出て、白鬚橋を渡る 途中、夕焼けの向こうに富士山を見ることができた ここまで来たら、と思い南進して、ついにスカイツリーまでたどり着く なんとなく東京ソラマチに入るも、特にすることがなく呆然と立ち尽くす いっそスタート地点の上野まで…と思い、再び歩きだす もう足の疲れなどはどうでもよくなっている 途中たばこと塩の博物館があるのを確認し、渋谷からここに移転したのか…などと、一度も入ったことのない博物館に思いを馳せる 浅草寺の裏口から雷門を抜け、上野駅に到着 何を思ったか、さらに秋葉原方面に歩くことを思い立ち、最終的に小川町からメトロに乗って帰宅したのだった  総歩行距離、31.7kmの徘徊であった Arakawa,Sumida 2018.10.21

2018/10/29

徘徊録0008

2018/10/06

西日暮里から徒歩で荒川まで出ることにする
日差し強し、日焼け止めをしっかりと塗る
北東へ向かって歩く 大通りを避けて裏道を歩いていくと、普段歩くような地域と比べて古い建物が多く、それも現役で残っていることに気がつく
昼日中に人の住まうヨソの家を撮ることに躊躇いがあり、カメラを向けることが少ないのだが、これは乗り越えるべきハードルなのかそうでないのか、わからないでいる
都電荒川線沿線から付かず離れずといった感じで歩き続け、途中乾物屋のような店でガムなどを買う 幼少時に通ったような店がここでは現役続行している
北区豊島団地付近に差し掛かり、コンビニでパンとコーヒーを買い、荒川土手に向かう
途中、道路脇の木立のなかに大量の小鳥たちが飛び交っているのを見る
野生化した外来種のインコが都内で大量に繁殖しているらしい
荒川を渡って土手に腰掛けて、パンを食べコーヒーを飲む 6,7年前に同じ場所に来たことを思い出す 河岸の風景はどこも変わっていなかった
荒川と隅田川に挟まれた低地を進む 左手の隅田川沿いには灰色の壁が続いており、街灯もまばらな暗い道を唐突に工場の眩しい照明が照らしているなど、普段歩くような市街地にはない不思議な風景が見られる場所だった
岩淵水門を通り過ぎる 真っ暗な道の向こうに川口らしき街の灯りが見える 暗闇のなかでも数人のランナーが走っており、皆リフレクターやライトをしっかり装着している
新荒川大橋を渡り、赤羽駅へ向かう 駅周辺の飲み屋街の人だかりを抜けて、電車にて帰宅

荒川 / Arakawa-River

2018/10/14

徘徊録0007

2018/09/23

二子玉川から自由が丘までを歩く
駅前は大型商業施設がすべての中心になっているようで、あらゆる生活がそこに完結している感覚があった 日差し強く、日焼け止めを塗っていくが、首の後ろに塗り忘れ、徐々に皮膚が焼けていくのを感じながら多摩川沿いを歩く 田園調布に差し掛かり、スターバックスでアイスティーを買い、喉を潤す 近辺は高低差があり、きつい急坂を登りきると、それなりの眺望が得られる 自由が丘、初めて来た 人が多く下北に似ているが年齢層はそれよりも高い 古本屋古着屋雑貨屋など見て回り、二子玉川へ引き返す 途中、九品仏浄真寺に立ち寄り、広さと建造物の多さに些か驚く 尾山台等々力上野毛と大井町線沿線を歩く 以前、等々力渓谷に来たことがあったような気がするが、来ていない気もする 二子玉川に戻りデパ地下で冷麺を食べて帰宅 写真はほとんど撮らず

2018/09/17

徘徊録0006

吉祥寺美術館に小貫政之助の絵を見に行く
絵を見ながらいろいろ考えるも、キャンバスや板に絵の具が盛られて眼の前にあるのを確認しながら「存在だナァ」とか「実体化してるナ」などといった気の抜けた感想に落ち着くのだった と言ってしまうと、作品があまり心に響かなかったように受け取られてしまいそうなので言っておくが、絵はそれなりの爪痕を自分に残した それぞれの絵を何度も隈なく見て回ったし、いつもは買わないポストカードも一枚購入したのだ ただ絵から感じたものがなんなのかよくわからないでいる
その後はいつもどおりボンヤリと街を徘徊 KALDI、ヨドバシカメラ、オッシュマンズ、その他食料品店などまわる SONYのA7IIあたりに買い替えるのがいいんだろうなと思いつつ、実際手にしてみるとどうにもそそられない GretchのDuo Jetのルックスは非常に好もしいなと思いながらハードオフの楽器コーナーに佇む 井の頭公園に行く ここでようやくカメラを取り出す こんなに暗かったかなと思い、これはLED街灯を導入してないからと気づく 暗いは不便で危険だが、情緒のない眩しさに比べればマシ、こんなことを思えるのも自分が健康体の男だからだな、と考える 公園を出て古本屋に入る 古本屋には古い詩集がたくさんある 詩シーンに明るくないもので、この作者はどういった位置づけの人なんだろうかと考える そんなことより言葉を味わえよと自分に言う 帰り道に三脚立てて数枚撮る 最近カメラの液晶ではちゃんと撮れてるように見えてもパソコンで確認すると黒つぶれしてるということが多く、念のためにRAWで保存しておく 中央線沿いの街を歩いているとなんともいえない煮えきらなさを感じる 街と自分、そもそも街なんてものは自分に関係なかったのかなと思う などと考え、こんがらかりながら帰宅



2018/09/13

徘徊録0005

雑司が谷から護国寺近辺を通る
個人商店が多く生き残っていることに驚く
若者もそれなりに住んでいるように思える
ただ、外国人は少ない印象
店、というやつに入ることが少ないので、こういった街に来ても、自分には関係ないナ、といった感じでやり過ごしてしまう傾向にあるが、街並み自体は変化があって好ましく思える 古びた看板や建物、特に商店が現役でいるところを見るのは面白い



徘徊録0004

2018/09/11

上高田付近を軽く偵察してみる
昨日から気温が急に低くなり、本来なら秋めいた空気と言ってもいいはずだが、特有の匂いや風は感じられず
毎年「こんなものだったかナァ」などと思っている気がする
8月、盆あたりにいくらか涼しい日があった
あのとき感じられた気配が今はないということは、季節の変わり目というやつは単なる気温の変化ではなく、年に一度だけ姿を見せる妖怪みたいなものなのかもしれない


2018/09/09

徘徊録0003

落日前に軽く徘徊しようと、X-E1とRokkor-SI 28mmとMD ZOOM 75-150mmを持って出る 斜めになったけだるい光線の感じが頭にあったので望遠レンズを持ち出してみたが、どう使っていいかわからず、とりあえずまっすぐに道が伸びてるところがいいだろうと、甲州街道に出る 結局、甲州街道を軸に西原幡ヶ谷笹塚とぼんやりと歩いただけで、止まる気配のない汗をぬぐいながら、京王線沿線と自分とは相性がよくないという後ろ向きの認識を新たにしたのだった 西原のあたりはその高低差から、木々や建物のあいだのわずかな隙間から眺望の片鱗がうかがえるようなところもあるが、密集した住宅街でははっきりとした眺めを得られるような場所は見つからなかった 古い家、ひょっとしたら空き家も多いように見えるが、それなりに人は歩いており、若者もいる どういった人たちがここを歩いているのかよくわからず、自分からするとすこし不思議な感じもする 望遠は使わずじまいで帰宅



2018/09/08

徘徊録0002

どこに行こうかとgoogle mapを睨みながら過ごしていると、15時になっていた
出かけるに際して、どうも気負いすぎる傾向にあるのだが、持っていく荷物の多さにくわえて、この過ごしにくい気候とくれば、そうなって当然だとも思う
近所のスーパーや自販機に行く気軽さで外に出るのがよかろうと思い、遠出はやめた
日中、太陽の出ている間は中野あたりをぶらつき、夜は夜でどこかに出かけようと腹を決める
昨晩と同じようにX-E1とTakumar28mmを持って出る
自分にとって中野はなんらかの用事を果たす街で、徘徊する目的ではあまり行かないのだが、やはり歩いていてどうにも乗り切れず、といった感触であった
昼に写真を撮るということをあまりしないせいか、カメラの設定をどうすればいいか、いまいちピンときていない 結果シャドーを強めたりしているうちに陽が落ち、煮え切らないまま帰宅することになったのだった
今日の夜の行き先はまだ決めていない


徘徊録0001

X-E1、takumar28mmとW.Rokkor-SI28mmをバックパックに入れて三脚を持って出発
山手通りを軸に板橋近辺を徘徊する
すべて三脚での撮影で胸くらいの高さにカメラを据える
このあたりはほぼLED街灯だが、他の街に比べて青く見える
中野などは真っ白でとにかく眩しい印象があるが、ここはLEDでもそれほどの不快感はない
レンズはtakumarしか使わず 小さいのは気分がいい Rokkor-SIは大きく重いので散歩のリズムを乱す 持ち物がかさばるということは、単に疲労の問題というより、フットワークやリズムへの悪影響を意味すると最近考えている
7年前に撮った場所で同じように三脚を据えて写真を撮る
カメラは違うがレンズは同じtakumar だからといってどうということもないが
だいたい50枚くらい撮る
三脚ってやつはめんどくさい しかし使わざるを得ない




2017/04/20

日記

ナイキの安いスニーカー、ちょっとの雨でも靴下まで濡れるのでなんだと思っていたらソールに穴が空いていた
しまっておいた破れた靴二足リペア、
ブーツにオイル塗り、靴ひもを交換する
Gジャンの穴も繕う
結局のところ安いスニーカーは長持ちしない
革のジャケットの裏地も破れているので補修したい
Gパンの裾上げも

2017/01/07

そういう性癖はないです

誓っていうけどそういう性癖はないです。

持ち歩き

この年末年始どこへも出かけることなく…いや、それはどうでもいい。ここで話したいのは、カメラを持ってるのにどうして写真を撮らなくなっちゃったの?ということであり、それはカメラ、バッグ、三脚と装備が充実していくにつれて顕著になってきており、今でははっきりとした苦痛をともなうようになっている、そういうことなのである。だいたいストラップで吊り下げた物々しい一眼レフが胸の前にある様はまさに変態そのものだ。歩くたびのその揺れ方はまるで睾丸のようだと言ってもいい。恥ずかしげもなくそんなものを携帯するようになった俺は、医者の前でこう告白する老いた俺自身を想像するのだ。

―あなたにそのような倒錯的嗜好が身についたのはいったい何がきっかけなのですか?

ええ、私は昔、写真を趣味にしていたんですがね、そのときに大きなカメラを首から下げていたんです、それでねえ、おかしな話ですが…往来でそんな黒光りする物をぶら下げて堂々と歩いているということに、あるときから快感を覚え始めてしまったんですね…

―それがあなたを性倒錯の世界へ送り出したと、そういうことなのですね。

笑ってくれてもいい。しかしこのような未来を避けるために、フットワークを軽くするために、装備の取捨選択を考えなければならぬ。外を歩く足どり、カメラを取り出す手つき、バッグを背負う動作、そのひとつひとつに暗い影が落ちている。大手を振って表通りを歩く人間ではなかったということだ。

2017/01/01

現状

街、都市というが、外へ出て何かを探さねばという強迫観念めいたものにつきまとわれてるせいで注意をそそぐべき対象にふりむけられないのではと思う
外に出てなにかをするということを欲してないという感覚がはっきりとあるが無理に否定していた感がある

街2

0時過ぎに新宿あたりに行ってみると人はまばらで特にこれといった感慨もなく自分にとって現実としての東京も幻想としての東京も死んでしまったという感じがする 何枚か写真を撮ってみるもどうにも居心地が悪く、早々に帰宅し気の抜けた三ツ矢サイダーの残りをコップに注いで飲んだくらいであとはパソコンに向かうのだった