いつからかもわからないが、近頃具合が悪い。
身体の不調からはじまり、つぎに精神の不調が加わった。
胃の重苦しさと、ものを飲み込みづらいということに気づいたのは、2か月も前だったか。新型ウイルスのこともあり、外に出ることが少なくなったため、運動が足りてないという自覚はあった。ままにならない身体の調子に業を煮やして、食事に気をつけなるべく歩くなどの軽い運動をした。梅雨明けとともすこしづつそれらの活動を行なっていった気がする。多少は身体が動くようになったものの、つぎは精神的な落ち込みにおそわれるようになった。何を見ても悪い想像をしてしまう。この状態を打開するヒントはないかと、書物をめくる。こういうときに自分が頼るのはたいてい文学作品である。
「そんなふうに気持ちが落ち込んでいるときにだけすがろうなんて、随分と調子のいいいものだな。」
などと思いながらも、いくつかの書籍に目を通す。こんな精神状態のときにはたいてい完走できず、途中で諦めてしまうものだ。たまたまネットで読後感想を見かけたヘミングウェイの『移動祝祭日』を読むことに決めた。「もしきみが幸運にも青年時代にパリに住んだとすれば…」という冒頭の一文で有名な作品だ。ヘミングウェイがパリで過ごした若かりし日々の思い出がつづられているそうだ。これが書かれたのは1958年~60年、事実上の遺作であり、彼はその後、散弾銃で自殺している。心身の不調に悩まされた晩年に、瑞々しく情熱に満ちた若い日々のことを書くとはどういうことなんだろうか、というのが自分の目にした感想文だった。
気分の落ち込みが続く日々というのは時折やってくるものであるが、そこを抜ける時、獲得されたものもあれば死んでしまったものもあると思う。そして大抵の場合、その死んでしまったもののほうが、獲得されたものよりも多い気がしてならない。
2020/08/20
不調日記
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