Podcastというものを8月半ばにはじめて、もう2か月ほどになる。
ラジオ放送については、これまでぼんやりと考えることではあったのだが、インターネットという不特定多数のいる場で声を発することは、自分にとって大変ハードルが高く、それはあくまでも頭の中だけの夢想に近いものだった。羞恥心の壁を越えて自分に放送をはじめさせたのは、昨今の状況におけるどうにもならない憂鬱や、漠然と抱えている無用の感覚だったように思う。
はじめはRadiotalkというアプリで10分少々気軽にしゃべるということからはじめた。
それも最初に声を発するまではかなりの難儀であったが、自分は外で歩きながらスマートフォンに向かって録音するという形で対処した。屋外で耳にスマートフォンをあてている行為は、 あたかも電話中であると偽装できるからだ。部屋で独り言をしゃべるよりはましだと…
生の声というのは不思議なもので、文字で追っているのと声で感じるのとでは、まるで別の人間であるかのように思える。それだけ発声という行為はリアルであり、身体的なものであるらしい。結局、今では毎日放送するようになってしまい、はじめの逡巡の記憶ももうだいぶ薄らいでしまった。とはいえ、放送の中身自体はそれほど変わりなく、自分としてはもう少しなんとかしたいと思いつつ続けている。
放送で触れた話だが、ティム・オブライエンの『本当の戦争の話をしよう』という短編集で印象に残る一文がある。
"俺は文章を書いていたからこそあの記憶の渦の中を通り抜けてくることができたんだな。"
文章を書いていなかった、自分の心情をあらわすことをしていなかった戦友は、自死することになった。なにかすることが必要だろうかと思う。誰にとっても。COVID-19以前から、なにかすがるものの必要を感じていたように思う。創作か、信仰か(具体的な宗教や神の形をとらなくても)。とにかくなんらかのなにかが必要な気がしている。
これはなんらかのなにかになっているだろうか、と思いながら、覆いかぶさってくる黒い雲から逃げるように放送を続けている。